約束の灰
「今日はお付き合いいただきありがとうございます、アスラン」
大型ショッピングモールのアーケードの下、地元の買い物客たちで溢れる道を歩きながら、ラクスはおっとりと微笑んだ。
「いえ。どうせ何もありませんでしたから」
アスランは両手にしこたま買い物袋を持ちながら、ラクスに合わせて若干小さくした歩幅で歩く。
二人が並んで歩いている姿に、道行く人々はこぞって振り返った。ツバの深い帽子をかぶって目立つ髪を隠しているとはいえ、ラクスはとびきりの美少女だ。人目を集めても仕方がないだろう。
オーブではプラントに比べてラクスの知名度は低いはずだが、それでもあまりに目立つのは好ましくない――そう内心で冷や汗をかいているアスランは、自分もまた群を抜いた美少年としてかなりの衆目を集めていることなど露とも思っていなかった。
「今日はカガリさんはどちらへ?」
「あいつはオノゴロに行っています。今日は早めに終わりそうだから、帰りに別邸に寄ると言っていました」
「まあ。それは楽しみですわ」
普段は国家元首であるカガリの護衛を務めているアスランに、ぽっと休日が降って湧いたのは三日前の話だ。
『アスランはいつも働きすぎだ。たまにはゆっくり休め』
形式上の雇い主となっている少女は、問答無用でそう言い渡した。
『俺は君の護衛だ。君に仕事があるのに俺だけ休むわけにはいかないだろう。俺がいない間、どうするつもりだ?』
『そんなもの、一日二日くらいならどうとでもなるさ。護衛ならほかにもたくさんいるんだから』
確かにアスハ家には指折りのSPが何人もいる。しかしアスランはカガリのそばから離れることに抵抗を禁じ得なかった。
しかし結局は押し負け、アスランは一日の休みをとることとなる。とはいえオーブに知り合いが何人もいるわけでもなく、特にやりたいことがなかったために休日を持て余していたアスランを、カガリは別邸に向かわせた。
『ラクスが買い物をするのに人手が欲しいって言ってたんだ。手伝ってやれよ』
そう言われてしまえば、断ることもできず――。
「本当はご自分でカガリさんをお守りしたかったんですよね、アスランは」
不意にラクスに指摘されて、アスランは何もない地面につんのめりそうになった。
「っ、何故それを」
「ふふ。だって、お顔がとても拗ねてらっしゃるんですもの」
あまりにものほほんと言ってのけるラクスに毒気を抜かれて、反論することもできない。
「――あいつは急に何をしでかすかわからない危なさがあるので、近くにいないと気も安らがないんですよ」
「では、そういうことにいたしますわ」
くすくすと微笑まれて、アスランは口ごもるほかなかった。
「――ところでラクス、次は何を買うんですか?」
「そうでしたわ。ええと……」
ラクスは上品な動作で鞄の中からメモを取り出す。
日用品の買い出しに行きたいが、大量に買い込むのでひとりでは難しい――というのが今回の発端となったラクスの言だ。
マルキオ導師は目が不自由なため、買い物の同行は難しい。別邸で療養中のキラはまだ人の多いところへは連れ出したくない。キラの母カリダならば同行は可能だが、女手であることは変わらない。結果、カガリがアスランに白羽の矢を立てることになった。
アスランも頼まれれば断る理由もなく、大量に買い込むならばとオーブで足として使っているエレカを出して今日に至る。
「タオルと食器は買いましたので……次は、キラの下着ですわね」
「下着……ですか?」
「ええ。以前カリダさんが持ってきて下さったのですが、そろそろ新しいものをと思いまして。オーブでは雨が多いので、なかなかお洗濯も間に合わないのです」
相変わらずおっとりとしたラクスの言葉を、アスランはどこか気の遠くなる心地で聞いていた。
「……それは俺が買ってきます。ラクスは店の外で待っていてください」
何はともあれ、ラクスに男物の下着など買わせられない――アスランの理性がそう結論づける。ひょっとしたらプラントにいた頃から亡くなった母の代わりに父シーゲルの買い物をしていた可能性もあるが、それはそれ、これはこれだ。
「あら、よろしいのですか? できればわたくしも自分のお買い物をしたいのですが……」
「申し訳ありませんが、ラクスのものは自分で買っていただけますか? 代わりに俺がキラの分を買いますので」
「わかりましたわ」
「終わったら中央広場の看板の前で会いましょう。ただし、まわりには十分気をつけて下さいね。不審な者を見かけたら、真っ先に俺に連絡を」
わかりましたわ、と再び花のように微笑んだラクスは、アスランが日頃仕える少女に比べればはるかに素直で大人しい人間だ。――にもかかわらず、どうにも不安が拭えないまま、アスランは気が気でない状態で親友の肌着を買うはめになった。
結果として、ラクスは何一つ問題を起こさず買い物を終えてみせた。
ほっそりとした腕から新しい買い物袋を受け取りつつ――さすがに女性用下着店の紙袋は渡したままだ――どこか拍子抜けする。
「これでもわたくし、プラントでレジスタンスとして活動していた時期は長いんですの。身の隠し方はダコスタさんたちに一通り教えていただきましたわ」
「……そういえばそうでしたね」
子供のように無邪気に笑むラクスに、アスランは安堵のような落胆のような複雑な感情を込めて大きく息を吐く。
――同じお姫様で、同じレジスタンスの活動をしていた身でありながら、カガリとは大きな違いだ。口に出さずにそう思う。
「ずいぶん荷物が増えてしまいました。一度置きに行った方がいいでしょうか?」
気付けばアスランの腕に提げた袋は、五つにも六つにもなっていた。気遣わしげに眉を下げたラクスに、アスランは慌てて否定する。
「いえ、俺は平気です。それよりもラクスは平気ですか? 朝からずっと歩き詰めですが」
「ではお茶にしませんか? 先ほど素敵なカフェを見かけたんですの」
ラクスの提案にうなずき、ふたりはカフェへと足を向けた。
その道中、ふとラクスが歩みを止める。目の前にあったのは上品な宝石店だった。
「まあ、素敵」
店頭のディスプレーには色とりどりの宝石を使ったネックレスやピアスなどのアクセサリーが飾られている。つられてのぞき込んだアスランの目に留まったのは、端に展示されていた赤い天然石だ。
「これは……」
「そちらはハウメアの石を使ったネックレスでございます」
釘付けになっていたアスランに、いつの間にかそばに立っていた店員が説明する。にっこりと営業スマイルを浮かべた店員は、店にあった上品なスーツと立ち振る舞いをしていた。
「……知っています。俺も持っているので」
「まあ、そうでしたか。今日はカップルでお買い物ですか?」
それが男女で買い物に来ている客に対する店員の常套句だと知りながらも、アスランはわずかにたじろいだ。