奇跡の代替
「カガリ様、今日は訓練できないんですよォ」
「え?」
クサナギにやってきたアスランを前に、アサギ・コードウェルは心底残念そうな顔をしてそう言った。
「ちょっと体調崩しちゃってェ。今部屋で休んでるんです」
「カガリが?」
「信じがたいですよねぇ。あんな元気のかたまりみたいな人が」
アサギは大げさに肩を竦めてみせる。
アークエンジェル、クサナギ、エターナルの三隻がデブリ帯に身を潜め、戦局を見守るようになってから約一ヶ月が経った。その間にカガリに専用のモビルスーツストライクルージュ≠ェ与えられたことにより、いつしか彼女の訓練につきあうのがアスランの日課となっていた。
今日もそのつもりでカガリを迎えに着たというのに、いつもならば出迎えに来て意気揚々と訓練に臨むはずの少女の姿はどこにもない。
「だから、今日の訓練はなしってことでお願いしてもいいですかァ?」
「そうですか……」
いつもならばアサギを含めたアストレイのパイロットたちが騒いでいるはずの格納庫も、今日は人がまばらで活気がないように見えた。クサナギの指揮官たるカガリがいないからだろう。彼女の未熟ながらも責任感が強く快活な姿は、いるだけでクルーの士気を大きく上げる。
アサギは悩ましげに頬に手を当てて考えるそぶりを見せたあと、アスランを見てにんまりと微笑んだ。
「そうだ、アスランさん看病しにいってくれません?」
「え……俺がですか?」
「そーですよォ! そのほうがカガリさまも喜びますし!」
勢いよく詰め寄られて、アスランは思わずたじろいだ。
カガリが心配であるのは確かだが、仮にも寝込んでいる女性のもとを訪れるというのにはいささか抵抗がある。カガリに対し下心が全くないとは言い切れないためなおさらだ。
しかしアサギはアスランの葛藤も我関せずと言った様子で、結局押されるままに承諾するしかなかった。
「じゃあこれ、お薬とお水とご飯です。カガリさまに渡してくださいね」
いつの間にやら聞きつけてきたマユラにトレイを差し出され、アスランは「はあ」と生返事をしながら受け取った。
「たぶん食欲もないと思うので、アスランさんが食べさせてあげてくださァい」
「ついでに着替えなんかも手伝ってくれちゃっていいですよォ?」
「やだ、ふたりきりの部屋とはいえ艦内でそこまでやっちゃう!? しばらく入室禁止にしなきゃ〜!」
「……あの……」
何かのスイッチが入ってしまったらしくきゃあきゃあと騒ぐアストレイ三人娘を前に、アスランは呆然と立ち尽くす。
――きっとここにカガリがいたら怒るんだろうな。『おまえらあとで絶対泣かす!』なんて唸りながら。
状況についていけないなりにそんなことを考えて、おかしさに笑い出しそうになる。同時に、今この場にカガリがいないことに対して一抹の寂しさのようなものがこみあげた。
「すいません。カガリの容態について聞いてもいいですか?」
アスランが問うと、それまでかしましく騒いでいた三人がしんと静まりかえった。ばつの悪そうに互いの顔を見合わせる。
「――一応検査はしたんですけど、どこも悪くないんですよ。体は」
ジュリの言い方には含みがあった。
「まぁ、仕方ないって言えばそうなんですけど。あの娘は軍人でもなんでもないわけですから」
ため息をついたマユラが言葉を続ける。
「できれば話を聞いてあげてください。あたしたちよりも、アスランさんのほうが話しやすいと思うんです」
彼女たちの様子からは、心からカガリを案じていることが見て取れた。いつもきゃあきゃあと騒いではカガリをからかってばかりだが、やはり大切な自国の姫なのだ。
「わかりました。俺でできる範囲になりますが」
「それで十分ですよ。カガリさまのこと、お願いしますね」
アサギたちに見守られながら、アスランはカガリの部屋のドアをくぐった。
「カガリ、入るぞ」
一応声をかけてみるものの、返事はない。
カガリの部屋は艦長室でもあるため、ほかよりもずっと広い作りになっている。とはいえ宇宙艦という限られた空間の中ではその広さも知れたものであり、探すまでもなく目的のものは見つかった。
部屋の隅にあるベッドにうずくまる影がひとつ。カガリだ。
どうやら寝ているらしいカガリを起こさぬよう、アスランは物音を立てずにベッドへ忍び寄った。
カガリは壁際に体を向けた状態で、縮こまるようにして眠っていた。顔色は青白く、前に会ったときよりもすこしやつれているように見える。
サイドテーブルの上にはアスランが今持っているものと同じ薬と水差し、食事のトレイがあったが、食事はほとんど手がつけられていなかった。
――どこも悪くないんですよ、体は。
ジュリの言葉が頭をよぎる。
歯切れの悪い言い様は、暗に問題があるのは心だと告げていた。
無理もないだろう。彼女は数ヶ月前に敬愛する父を失ったばかりなのだ。
それだけではない。国の代表の娘という、本来ならば何不自由なく生活できる身分でありながら、今や自ら戦艦に乗り指揮を行い、モビルスーツを駆るまでに至った。アスランやアサギたちのように、元より覚悟をした上でパイロットになり長年訓練を積んだ軍人とは違うのだ。常人がこんな非日常に居続ければ、いつかは限界が来る。
そう――カガリやキラは軍人ではない。
今のように戦場に出て、戦い、殺し――誰かが死にゆくところを見る必要などなかったというのに。
この三隻同盟の中には、ただ巻き込まれたというだけで戦わなければならなくなった人間が多すぎる。それが戦争なのだと割り切ることは、今のアスランには難しいことだった。
「う……」
「カガリ?」
カガリが身じろぎをする。起きたのかと思って顔をのぞき込むが、カガリの瞼は苦しげに閉じられていた。
「お父……さま……」
か細い悲鳴のような声とともに、閉じたままの目から涙がこぼれ落ちる。
ウズミ・ナラ・アスハの最期はアスランも知っている。壊れる寸前のマスドライバーから飛びたち、燃えゆく大地を空から見ていた。炎の中に消えた父を想い、キラにすがりついて泣くカガリの姿も。
あまりの痛々しさに、アスランは何をすることもできず、カガリを慰めるキラを見守ることしかできなかった。
あれからもう一月以上が経つ。
カガリは今やクサナギの立派な指揮官であり、若いながらもその責任を果たすために日々尽力している。そこに失意に沈む少女の姿は見られない。
だが――カガリが本当に立ち直るためには、与えられた時間では短すぎた。
精神の限界を迎えた少女の姿は、直視するにはあまりに痛々しい。
「……カガリ」
耐えかねて、アスランは金の髪に手を伸ばした。
眠りながら涙する少女の気持ちが、すこしでも安らぐことを願って。
ややあって、閉じられた瞼がぴくりと震えた。ゆるゆると開いた瞳が、緩慢な動きでアスランの姿をとらえる。
アスランはどこかほっとしながら、頭を撫でる動作はそのままにカガリの顔をのぞき込んだ。
「カガリ」
「……キラ……?」
しかし――呼ばれた名は彼のものではなかった。
カガリは目覚めたばかりだ。憔悴しきった彼女が、たまたま寝起き一番に視界にとらえた人影を間違えただけ。
そう頭では分かっていたのに――アスランは言葉にしがたい衝撃を受けていた。
カガリの頭に乗せていた手を引っ込める。困惑した様子のカガリを見ながら数秒逡巡したあと、固い声を絞り出した。
「……起こしてしまってすまない」
「アス、ラン?」
カガリはまだ思考がはっきりしていないのか、のろのろとした動きで寝返りを打った。ベッドのそばに膝を突いていたアスランの顔を見る。
「ああ。アサギさんたちに頼まれて、薬を持ってきたんだ」
「あ、そっか……今日の訓練が」
「今日は中止になったから気にするな」
「アスラン……?」
アスランの様子がおかしいことに気づいたカガリが、怪訝そうに眉をひそめる。カガリはゆっくりと体を起こしながら、そこでようやく自分が泣いていたことに気がつき、目元を手の甲でぬぐった。
「あれ、私……」
「……疲れていたんだろう。今日くらいはゆっくり休め。勝手に部屋に入って悪かった」
アスランは目を合わせないようにしながら腰を浮かし、背を翻す。その背にカガリがおいすがった。
「お、おい、待てよ。アスラン」
呼ばれても振り返ることはできなかった。
今のひどい顔を――カガリには見せられない。
「なあ、カガリ」