愛しきリリィ
 部屋のドアが背後で閉まって、オートロックがかかる。
 鍵の落ちる音にカガリはびくりと肩を跳ねさせた。それはつまり、もう後戻りはできないということだからだ。
「大丈夫。誰にも見られていないよ」
 隣に並んだアスランが気遣うように背に手を添える。カガリが懸念していたのはそこではないけれど、彼女はあいまいに頷いた。
 変装用の帽子と茶髪のウィッグ、伊達眼鏡をした状態で、促されて部屋の中央にあるソファに腰掛ける。さっきからずっと胸が早鐘を打っていて、隣にアスランが腰掛けたのがわかったけれども、カガリはその顔を見ることができなかった。
 アスランが隣で大きく息を吐く。そして背もたれに勢いよく体を沈めた。カガリはその動作を見てようやく彼も緊張しているのだということに気づいた。
 カガリがおそるおそる顔を上げると、隣のアスランが困ったような表情ではにかむ。
「さすがに今日はいつもの倍気を遣うな」
「そう、だな。私も」
「わかってる。でも、そんなに固くならなくても大丈夫だから」
 アスランが手を伸ばしてカガリの頭を優しく撫でる。その心地良い感触に、カガリもようやく肩の力を抜いた。
 アスランは左手でカガリの髪をすきながら反対の手で変装用のサングラスをはずした。今日は代表首長であるカガリだけでなく彼も顔を隠している。それは彼が戦後にあらゆる意味で有名になったので、オーブ軍の准将アスラン・ザラが女性を連れて五つ星ホテルに入っていったなどという噂が立つのを防ぐためだ。
 彼が今日使っているサングラスは、二度の大戦の間──彼がまだアレックス・ディノとしてカガリの護衛をしていた頃のものとは異なり、先日新調したものだ。今日の逢瀬のためにカガリが選んで買ったもの。そのフォルムは彼の整った顔によく似合っていたが、やはりない方が良いとカガリは思った。
「カガリ、どうした?」
 まじまじと顔を見つめられていることに気づいたアスランが首を傾げてカガリを見る。それにカガリは慌てて目を逸らした。
「いや、何でもない」
 ──おまえに見惚れていた、なんて言えるか。
 コーディネイターの中でも群を抜いて優秀なアスランは、その容姿も人より際だっている。彼が歩けば軍部の女性たちが色めき立つほどに。そんな男が特別な感情を向けるのが自分ひとりであるという事実に、カガリは今更ながらも胸が苦しくなるほどの喜びを覚えた。
 こいつが好きなのは、私なんだ。
 そして私は──今からこの男に愛されるんだ。

(中略)

 ふたりで泊まりに行かないか。
 そう言い出したのはアスランだった。その意味がわからないはずがなく、カガリはわずかにためらったものの、それに頷いた。
 彼らは一度目の大戦の最中に想いを通わせ、二年の歳月を共に過ごし、二度目の大戦で別れた。それから再び身を寄せ合うようになるまで、さらに数年を要した。
 短いとは言い難い付き合いの中で、けれどもふたりが夜を共にしたことは一度もない。ハグもキスも日常的にしたし、深い口づけもした。戯れに身体に触れることもあった。しかしその先には決して進まなかった。彼らの間には常に壁があったからだ。それは所属集団の違いであったり、身分の差であったり、時代の流れであったりと様々で──そして途方もなく大きな壁だった。
 今でもそれらの壁がなくなったとは言い難い。それでもカガリが頷いたのは、ふたりで壁を乗り越える覚悟を決めたからだった。
 きっとそれはアスランも同様に。

(中略)

 長いような短いような時間が過ぎて、バスルームの扉が開く。バスローブ姿で出てきたアスランは、部屋の中を見渡してから、ソファの上で縮こまっている少女を発見した。
 カガリはソファの上に両足を乗せて座り、クッションを抱き込んで顔を埋め、丸くなっている。
「カガリ」
 彼女の前に移動し、上質なカーペットの上に膝をついてやさしく声をかける。肩にふれるとカガリはびくりと体を揺らして顔を上げた。
 その顔が泣きかけているような拗ねているようなしかめっ面だったので、彼は思わず吹き出した。
「なんだよ! 笑うことないだろっ」
「っ、ごめん。でもあんまりカガリが緊張しているものだから」
「うるさい! この馬鹿、アスランのくせにっ」
 カガリはアスランを睨んでひとしきりわめくと、クッションで顔を隠してしまう。アスランは完全に拗ねてしまった彼女を前に微笑むと、小さく丸くなったカガリの体を覆うように腕を回し、抱き締めた。
「すまない、からかうつもりじゃなかったんだ。だから顔を上げてくれ」
「・・・・・・」
「安心して。カガリだけじゃない」
 アスランは恭しい手つきでカガリの細い手を握ると、それを自分の胸元へと導いた。
 ほどよく筋肉のついた胸から確かに早い心臓の鼓動を感じて、カガリははじかれたように顔を上げる。意外そうに目を丸くしている彼女と目線を合わせて、アスランは安心させるように微笑んだ。
「ね、俺も緊張してるんだ」
「アスランも?」
「ああ。わかるだろう?」
 胸に当てたカガリの手を強く握ると、彼女は小さく頷いた。その姿がいとおしくてたまらなくなり、思わずアスランは金色の髪に唇を落とす。

(中略)

「──カガリ、聞いて。今から俺は君に痛くて怖い思いをさせると思う」
 カガリはアスランの胸に顔を埋めたまま頷いた。
「君を傷つけることになる。それでもいいのか?」
 アスランは抱き締める腕に力を込めた。
 腕の中にいる存在を何より愛しく思う。大切に慈しんでどんなものからも守りたい。──しかしそう思う一方で、彼女のすべてを暴きたいという凶暴な衝動があった。
 彼女を押さえつけて、泣かせて、思うままに蹂躙したい。心も体も自分のものにして、自分のために染めてやりたい。そんな激しい情動を彼はずっと抱えている。
 こんなにも、こんなにもカガリが大切なのに。
 細くて温かな体。
 華奢でうつくしいこの少女を──俺はこれから暴くんだ。
 そんな欲望を抱いてしまうことを嫌悪しながらも、それがやっと許されたことに歓喜する自分が確かにいる。
 少女の体はやわらかく、アスランが本気で力を入れれば折れてしまいそうだ。そんな存在を己の欲のままに貫き暴くことを望むが本能の一つだなんて。彼には男という生物がどうしようもなく野蛮な存在に思えて仕方がなかった。
 自己嫌悪と情欲の葛藤の中で揺れるアスランの耳に、カガリの声が届く。
「いいんだ、アスラン」

(後略)
ディアミリ・アスカガ初夜アンソロジー「For the first time of the night」に寄稿させて頂いたもののサンプルです。
運命後設定のアスカガです。シリアス風味ではありますが、私の作品の中ではかなり甘々な(当社比)部類に入ると思います。
とても楽しく書かせて頂きました。調子に乗っていたら文字数の上限にひっかかりそうになりました。
こちらのサンプルには性描写は入っていませんが、アンソロジーそのものが年齢制限のあるものなのでご注意ください。
詳しくは告知サイト様をどうぞ↓

2016/07/16