獅子は泡沫の夢を見るか
「申し訳ありません、キサカ一佐」
部屋から出てきた少年は、私の顔を見るなり頭を下げた。
「構わんさ。こうなるだろうとは思っていた」
顔を上げてくれと言うと、アスラン・ザラ――今はアレックス・ディノと名乗る少年は、困ったように眉を下げる。
彼はひと目で美少年だとわかる整った顔立ちをしているが、最近は困った表情をしていることが多い。その困らせている最大の要因が、私たちにとって大事な、守らなければならない存在であることが、なおのこと私たちの頭を悩ませている。
「カガリはなんと?」
「私……俺にSPまがいのことをさせたくない、と」
軍人のような言葉遣いはやめろ、とこれまた怒ったカガリに言われたらしいアスランが、言いにくそうに話す。
カガリの怒鳴り声は部屋の外まで聞こえていた。あれもむかしから喜怒哀楽の激しい娘だったが、ここのところは特に精神的に不安定なところが目につく。
「まったく、とんだじゃじゃ馬娘だ……自分の身をなんだと思っているのだろうか」
ウズミさまの忘れ形見、カガリ・ユラ・アスハはオーブの次期国家元首となることが決まっていた。近々カガリの就任を公表するための国際的なパーティーが開かれるが、現在の世界情勢は非常に不安定であり、パーティーに厳重な警戒網が敷かれるのは必至だ。警護にはアスラン・ザラも組み込まれており、そのことを告げにいったところで、先ほどの怒鳴り声が返って来たのである。
「君にも苦労をかけるな、すまない。あれにもいい加減国家元首としての自覚を持ってほしいものだが、まだ幼すぎるんだ」
「いえ……」
アスランは言葉をにごした。カガリを貶める言葉には決して同意しようとしないあたり、律儀なものだと思う。
第三者から見ていても、彼のカガリに対する思慕はあまりにも深すぎるように思えた。好きな少女に婚約者が現れたというのに、隣に居続けることを選択したほどだ。
こんな誠実な少年がカガリの相手であったならば、私も何も心配することなく、ウズミ様にも顔向けできたというのに――現実において、宇宙から帰ってきたカガリを待っていたのは、連合寄りの政治体制と、逃れられない政略結婚だった。そう考えると、最近のカガリの不安定さも仕方ないと言わざるを得ない。
たった十六歳の少女から、家族と友人、自由、恋を奪い、この国と世界はどこへ向かうと言うのだろうか。
「この件については、私からカガリに言い聞かせておこう」
「お手数をおかけします」
「気にするな。じゃじゃ馬娘の相手ならば慣れたものだ」
カガリに理不尽を押しつけるのは、私たち大人の役目でいい。彼にはそんなことをさせたくなかった。
愛する父と親しい友を亡くしたカガリにとって、アスラン・ザラは唯一心を許せる相手なのだ。大人の押しつけた理不尽に泣くカガリを、彼が慰めてやってほしい。――それすらも、大人の浅ましい身勝手であるとわかっているのだが。
「君は当初の予定通り会場の警護にあたってもらうことになるが、何よりもカガリの身を守ってやってくれ」
「はい」
答えるアスランの目には迷いがなかった。それを頼もしく思う一方で、危うさを感じるときがある。
この少年の厄介なところは、自分が『使える』ことを自覚していることだ。アスラン・ザラはザフトのトップエリートだったというだけあって、白兵戦にひどく長けている。カガリひとりを守るのであれば、彼を護衛としてそばに置いておくのが最も確かな方法だった。
終戦したとき、彼は一度銃を捨てたのだとカガリは言っていた。アスラン・ザラとキラ・ヤマト――若くして力を持ち過ぎた少年たち。自らの力を忌避する彼らが、もう二度と銃を握らなくて済む世界を作りたいと、カガリは言った。
しかしカガリの願いとは裏腹に、アスラン・ザラはふたたび銃を手にとる道を選んだ。――戦争のためではなく、たったひとりを守るために。
皮肉なことに、アスラン・ザラにふたたび戦うことを選択させたのは、カガリ自身であったのだ。精神的に未熟なあの少女は、まだその現実を呑みこめていない。
それが軍人なのだと言っても、あれは納得しない。――アスハの当主としてそれではいけないのだと理解していながらも、カガリのあの純粋さを、真っ直ぐさを無くさないでいてほしいと思う気持ちも捨てられないのだから、私は甘いのだろう。
「しばらくは拗ねたあいつのご機嫌取りがたいへんだろうな。代わりに、休暇でも用意してやろう。どこかへ連れて行ってやってくれ」
「いいんですか?」
「構わんさ。国家元首になれば自由な時間もとれなくなるだろうからな、今のうちに好きにさせてやりたいんだ」
「……そうですね。俺も、そう思います」
賢い少年だ、きっとすべてを理解しているのだろう。
片や自身の有用性を理解し役割を果たすのに迷いのないコーディネイターの少年、片や理想を捨てきれずに現実の無情さに苦しみ続けるナチュラルの少女。
彼らが愛し合うためには、今の世界はあまりにも厳しい。
それでも――こんな世界の中でも、たったひとときで構わないから安らかな時間を得てほしいと、身勝手な大人は思ってしまうのだ。
「私たちの大事な姫だ。頼むぞ、アスラン」
「キサカ一佐……」
アレックス・ディノではなく、彼の本当の名を呼ぶと、アスランは少し驚いたような表情で私を見上げた。
私にはもう時間がない。じきにカガリのもとから離れることになるだろう。それがセイランの策略であると知っていながらも、私は抗う術を持たなかった。私にできるのは、孤立するカガリのそばにアレックス・ディノを残すことだけだ。――彼に託すことしか、私にはできなかった。
彼には重いものを背負わせることになる。大人の勝手な都合に、謀略と野心の渦巻く世界に、アスハに何の関係もない彼すら巻き込むことになる。カガリを守れぬ非力な私たちを恨んでくれていい。
「……はい」
それでも彼は、真っ直ぐ私の目を見て、頷いた。
その肩を叩き、私はカガリの部屋へと向かう。
到底叶え得ない夢だと知りながらも、私は願わずにはいられない。
――どうか、若者たちに明るい未来のあらんことを。